子ノ神古墳

古墳【尾崎】

長塚古墳、神明塚古墳とともに市内の3つの前方後円墳の一つ

子ノ神古墳(ねのかみこふん)は、長塚(ながつか)古墳、 新明塚(しんめいづか)古墳とともに、市内に残る3基の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の一つです。
昭和45年2月、沼津市文化財(史跡)に指定されています。
前方部には子ノ神社(ねのじんじゃ)があり、その造成工事の際、大半が削り取られ原形をとどめていませんが、社殿の北側に細長く残った墳丘(ふんきゅう)の一部が認められます。
その東側に位置する後円部は、小高い丘となっていますが、後円部と接する東側と北側を通る市道により変形し、方形に近い形になっています。
昭和31年の測量調査では、長さ48m、後円部直径27m、前方部幅14mと報告されていますが、平成11年に行ったトレンチ調査などの結果から、後円部直径36m、前方部長28m前後、全体像は東沢田にある長塚古墳(全長54m、6世紀前半建造)に匹敵する可能性があるとされています。
第2次大戦中にぼうくうごう防空壕が掘られた際、副葬品(ふくそうひん)と石室(せきしつ)の一部が発見されたと言われています。
子ノ神古墳の年代は出動遺品が土師器壺(はじきつぼ)の胴部小破片のみであることから、確定するには至っていませんが、現在では、長塚古墳と同じく古墳時代後期(6世紀)とする従来の考え方と、墳丘の形態や出土した土器片を根拠に、古墳時代前期(4世紀)とする説があります。
この古墳に葬られた人は、その規模から同時のスルガの国の有力な豪族(スルガ国王の片堅石命(かたかたしのみこと))だと推定され、その権力を誇示するために前方後円墳を造営したと考えられています。

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ギャラリー

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